STANCE 基本姿勢

世の中の不条理と闘う政治家を目指す

紛争地域で見た様々な不条理

1989年、天安門事件やベルリンの壁の崩壊を目の当たりにして、命懸けで自由や民主主義を求める人々の姿を目の当たりにした時、私の人生は変わりました。
人間の尊厳を守ることを一生の仕事にしたい。そんな思いに駆り立てられて3年後、会社(キヤノン株式会社)を辞め、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)での選挙支援活動に飛び込みました。

電気も水道もない山岳少数民族の村に住み込み、選挙を実施するための責任者として1年間を過ごしました。同僚でクメール語研修のルームメートだった中田厚仁さんが活動中に射殺されるなど、多くの理不尽な死を目の当たりにしました。私自身も銃撃、襲撃を受け、一瞬先には自分の人生も終焉かと覚悟する経験をしました。最大の不条理は戦争であり、戦争によって多くの犠牲の上に金儲けをするシステムそのものだと実感しました。 生涯の仕事として戦争がない社会を作る役割に寄与したいと考えるようになりました。 その後もモザンビークやボスニア・ヘルツェゴビナなど世界各国の紛争地域に赴任し、平和構築や民主化支援、また人々が貧困からの脱却をサポートする活動を行いました。

「政治が生み出した不条理に苦しむ弱い立場の人々、少数派の方々の意見を尊重できる社会をつくりたい」 「自然や文化の多様性を守ることを経済発展につなげられないだろうか?」

私が抱いた問題意識を解決するため、現場にこだわり活動を続けるとともに、平和構築や経済開発の研究者を目指し、働きながら大学院に通うとともに、『心にかける橋(学陽書房)』や『新しい平和構築論(明石書店)』などの著作や自分自身がレポートしたNHKスペシャル『新生カンボジア・3年目の現実』などの映像を通し「メッセージを伝える」ことにも力を注ぎました。

そんな時、首藤信彦前衆議院議員と出会い、政策秘書として国会に勤務。政治の役割の大きさを強く意識するようになりました。

政治家を目指したのは中村医師との活動から

2001年12月、民主党が開設していたペシャワール事務所(パキスタン)に派遣されていたことがあります。当時、アメリカの対テロ戦争による爆撃などでパキスタンやアフガニスタンの民間人が大きな被害を受けていました。彼らを救うため街頭募金などで集めたお金をどう使うべきか、ペシャワール会の故・中村哲医師にも助言を頂きながら現地をまわって調査するのが私の任務でした。「アメリカの空爆を支持し後方支援する日本は敵だ!」と激しい声も浴びせられ、身の安全のリスクを感じたことは幾度となくありましたが、私たちの考えを伝えると多くの方が共感して下さり、貧しい生活なのに食べ物を持たせてくれたりもしました。

日本の役割は自由公正な選挙の実施や、紛争後の平和構築、また、紛争の仲介役を務めるなど。軍事力を背景としない平和への役割を果たすことだと実感。自分自身の経験や専門性を活かすためにも自分が国会議員になって、日本だからこそできる平和貢献の在り方を探りたいと決意する転機になりました。

その後民主党の公募試験を受け、国会議員候補者になりました。
「民主党が候補者に求めるものはただひとつ。公(おおやけ)への貢献意識、そして、それを実現する専門性と経験があることです」
国政選挙に立候補するには『地盤、看板、カバン』が必要だと思っていましたが、当時の民主党の幹部はこのような言葉でゼロからの挑戦を激励してくれました。

世の中の不条理と闘う弱い立場の方々の力になることこそ、最大の公への貢献。 そんな政治家になろうと考えたことが私の原点です。

徹底して地域を、現場を歩く情熱とエネルギーがあればお金がなくても国政を目指せる。そんな社会を目指すために、自分が率先して新しい手法・スタイルを作りだす気概で活動しています。『走るさかぐち』はそんな思いを集約したメッセージです。現場に、そして、弱い立場の人々のもとに徹底して自分自身が足を運び、対話する活動を続けています。

私の政治姿勢

「企業献金は受け取らない」 「政治資金パーティーはしない」
この姿勢は政治を志してずっと貫いています。政治はみんなのためのもの。特定の団体から献金を受けることでしがらみをつくるわけにはいきません。従って政治活動に使えるお金はわずかですが、もう30年も病気をしていない体力と様々な工夫で政治活動を続けています。

地域活動では「いつも小走り、人に会えばダッシュ」が私のスタイルです。 「普通の人の声が届く、温かいクリーンな政治」を実現するため、徹底して現場にこだわり、皆さんの声を聞く政治を進めます。Economical(お金はあまり使わずクリーンに) Eco-Friendly(環境にやさしく)、そしてInter-Active(対話型)の活動が私のスタイルです。岐阜3区においても、自転車で、そして私自身の足で地域を駆け回っています。交差点では『熱闘ストリート民主主義』と名付けたスタイルで走り、訴え、対話を続けています。少しでも多くの方々と接点を作り、そばにいる政治家、声なき声を聞く政治家としての姿勢を見せるのが私の政治手法です。

マクロ経済の大きさではなく、国民ひとりひとりの幸福度の大きさを目指す国造りを目指します。世界が抱える様々な問題解決に率先して取り組み、その解決モデルを提供することで、幸福を生み出す制度やシステムを輸出する国家を実現します。

今、一部の人だけがますます豊かになり格差の拡大が進む不公平な社会を変えるべく、世界各国の市民社会が、不公平を生み出す構造自体を変えるべく立ち上がり、力を合わせています。彼らと連携を進めながら、日本こそが率先して新しい社会、経済モデルを構築できるよう国会で問題提起を続けるのが、今後の私のテーマです。

目標を実現するため、私は全力で走ります。皆さんも一緒に走りませんか?